娘が、小学校の課程を終了しました。
新型コロナウイルスの感染拡大の影響で縮小挙行された卒業式。
来賓なし、保護者1名のみの参列。
名前を呼ばれても返事をせず起立。証書の授与はクラスの代表者。
椅子と椅子の間を十分にとり、体育館をいっぱい使った会場設営と換気は、密室、密集、密接とは程遠い環境です。
入り口では、アルコールでの手指消毒も全員。
式の時間も30分という驚異のスピード。
式の後の学活の時間に担任の先生から証書を受け取りました。その学活の時間も30分。
そんな私たちが経験したことのないようなあっさりとした卒業式でしたが、娘には『卒業式楽しかったわ〜!』という感想。
子どもの立場からすれば、大切だったのは6年間の生活を共にした仲間との思い出を語る時間。中学でもよろしくねという会話。
恩師との時間なんやなーと。
形式的なものではなくて、心と心の時間が一番大切なんだなと感じた、特別な卒業式でした。
『自分の子どもの卒業式で、祝辞が述べれるで今年PTA会長やらんか?』という言葉にまんまと快諾した私でしたが、最後の最後に『来賓挨拶なし』という結末w
それはそれでガッカリだったけど、結果的にはめちゃくちゃ楽な式で有りやなと。
とりあえず、ここで卒業生の子たちに伝えたかった事をひとつだけ。
(私の言葉は、子どもたちに向けた言い方をするけど、それを聞いている保護者や先生方へ向けたメッセージも強い。SNSやっててよかった。)
人や、言葉とたくさん出逢ってください。
『アサガオは朝の光で咲くのではありません。
冷たい空気と夜の闇が開花をもたらすのです。
私たちは悲しむこと、涙を流すこともまた、大切なのです。』(月刊 致知より)
作家の五木寛之さんの言葉です。
突然訪れた小学校生活のおわり。卒業を作っていく大切な1ヶ月を奪われた担任の先生の悲しみや、仲間との思い出づくり、6年間の積み重ねてきた経験を形に作り上げていくはずだった時間が失われた事は、残念でなりません。
しかしこの貴重な事態は、当たり前であったことは当たり前ではなかったことを教えてくれ、
正しい状況判断する力と自己決定する力をもたらしてくれたのではないかと思います。
このタイミングで五木さんの言葉に出逢えたこと。絶望にも値しそうな事態に光を差してくれた言葉です。
また、ドロシー・ロー・ノルトの『子ども』という詩は、私の子育てを支えてくれた詩です。
↓以前ブログにも載せました。
寛容の中で子どもたちと関わってくださった校長先生をはじめ諸先生方、地域のみなさまありがとうございました。
卒業するみなさん。衝突もあっただろうけど、この子ども時代を共に過ごしてくれてありがとう。
この詩に出逢っていなかったら、PTAの活動スローガンも『good job!!』じゃなかったと思う。
そして、今の私をつくるベースにはたくさんの人との出逢いがあります。家族、親戚はもちろん、友だちの親、地域の大人たち、学生時代の先生たち。同世代の仲間たち。
その中にいる特別な大切な人の存在は、何事に取り組むにも、心の支えになってくれています。
言葉が行動のエネルギーとなり、大切な人の存在が心の支えになります。
小学校を卒業したみなさんは、これからどんどんと自分で判断し、決定していく事が増えていくでしょう。
自分という唯一無二の存在になれるよう、いろんな出逢いを楽しんでください。
私も『出逢えてよかった』と思われる人であれるよう、生きていきたいです。
この度は、ご卒業おめでとうございます。
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